18℃

苺録第1〜5回

粋な写真でしょう?

粋な写真でしょう?

第1回『縁』

 「縁」なんてのは信じるか信じないかだと思うこのごろ。毎日起きてるささいなことも「これも縁」と思えるようになるだなんて、あたしは馬鹿馬鹿しいとずっと思っていた。だってこの世が縁で結ばれてるだなんて、一体どこの宗教団体なのかい?と思えてしまうから。だけどそんなあたしの考えを根底から覆したのは、大学に入ってからのこと。気付けば世間は狭いのである。あたしがあの大学に入ったのもそもそも予定外のこと。そこからあたしの新しい物語が始まった。だから「縁」としか思えないようになったのである。たまたま入学した学校にて偶然が重なってできた「輪」。それは今のあたしにはかけがえのない大切なもので、であうべくして出逢ったと今では考えております。妥協で選んだ大学に、妥協の一人暮らしアパート。そこのアパートには実家が近い友人が住んでいたり、Netで知り合った友達が同じところに住んでいたり…また一人暮らしを始めるといってた子がたまたま見つけた物件が同じアパート。これには驚かされました。
  みんな必然と結びついてゆくあの関係は今でも忘れられません。みんながこわいぐらいひっついてゆくあの世間が狭い論が、あたしに「縁」というものを教えてくれた。そして今のあたしがいる。あのときの決断が妥協でよかった。あの土地に移り変わったからこそ手に入れられた大切な仲間、妥協でできた「輪」だとは思わない。ほんとに大切だから。
  これからゆく先々でどんな出逢いがあるかは分からない。が、でもあたしの機動力となるのは結局のところ、あの大学4年間で過ごした毎日と、大好きな友人達だと思ってる。あ、触れてないけど大学あがる前に出逢ってる友人達ももちろんね。あたしは素敵な仲間と友人にめぐまれた、ありがとうです。こんなあたしですが、これからも末永くよろしくお願い致します。
  ここを偶然見て、この記事を読んでくださったアナタ!これも何かの縁でしょう。これからよろしくお願いします。って、やっぱ縁を語ると何かの宗教団体っぽく聞こえるのはあたしだけ?いやいや、そんな怪しいものでは決してございません。ただ、管理人は少ぉしヒ人とズレてる恐れはあるかもしれませんが、至って 平常 、もとい正常です。

2005.02.01.

横断歩道は手を挙げて渡りましょう。

手を挙げて渡りましょう。

第2回『故郷』

 あたしには故郷がある。18年間住み慣れた街…というより「町」と言った方が妥当かもしれないが。18年という長い年月の色が染みついたこの古里に、あたしは何も残してない、そんな風に思っていた。しかし大学進学のためこの地を去ったとき初めて痛感した。あたしは故郷が好きだと。  それから4年の月日が流れ、その間実家に帰ったのはほんと両手に数えるほど。それでもあたしが帰る場所があるというのがとても嬉しかった。久々に自分の部屋に帰るとなんだかくすぐったい。なぜかというと、机の引き出し、本棚、クローゼット。全部あたしのものなのに、使われなくなり、目に見ることもなくなったその品々はとても新鮮で、別の人が大切にこっそりと隠しているように想えるから。宝物で詰まった、元あたしの部屋は当時のまま、そう18年前にあたしがこの部屋を、この家を、この町を巣立ったままなのである。  だからだろうか、時間が止まった部屋や故郷は懐かしくもあるが、その反面どこか居心地が悪いのも事実である。自分の居場所はもうここにはないんだといわんばかりの、そんな冷たいオーラさえも感じられる。  だけどやっぱりココがあたしの原点。遠い記憶だった、初めて屋台で買ってもらったガラス細工にピンク色したアクセサリー。マンガなんてもんはめったに買わなかったあたしが初めて必死になって集めた「H2」、3歳の時から習っていたエレクトーン。そしてずっとあたしの成長と共に育ってきたサンタクロースのぬいぐるみ、サンちゃん。  彼らのお役目はもう終わって、隠居生活に入ったのかもしれない。でもこうしてたまに実家に帰ってあたしを迎えてくれる、温かい。他人なんかではない、自分の分身そのものなのだ。  そんなことを思った今回の帰省。今あたしがいる場所は明らかにここではないが、いつか帰ってくるかもしれないあたしをいつまでも待ってて欲しいし、このまま時間が止まった場所であって欲しいと心から願う。故郷、そんな哀愁漂うかほりが好きだ。

2005.02.11.

粋な写真でしょう?

書いてます、書いてます。

第3回『日記』

  日記、あたしにとってはなくてはならないもの。中学生の頃から書き始めた、日記。そう、もうかれこれ綴り初めて10年が経とうとしてる。あたしにとって日記とは一体なんなのか考えてみた。何だろな、ただの記憶の断片にしかすぎなひんような気もするが。
  残念ながら中学時代の日記はもう手元にないのであるが、高校時代の日記を読むと不思議と「あー、あった!」って想い出す。書いてた時の気持ちや状況やら蘇ってくる。普段はそんなこと想い出すことすらないくせに。「ニンゲンの記憶というのは2日で98%が失われる」んでしたっけ?いや、そのメモ書きがないので当時そんなこと覚えてたあたしはもう100%記憶がないので何とも言えないが、この話が本当なら、こうしてあたしが過去の出来事を文字にすることで、あたしはすぐに過去を取り戻すことができる。
  忘れてた当時のはにかむ出来事、信じられないような出来事、心境の微妙な移り変わり、想い出したくもない、振り返りたくもない時間。そんなものが綴られた文字により、過去の自分にとっては肯定だった世界が、同じニンゲンのことやのに23歳になり今を生きてるあたしにとって、過去の世界として蘇ってくる。変だよね、ほんま。
  頭の中での過去はカラー、けど文字から読みとれる過去はセピア。変にくすぐったい。でも昔を今は笑えて、ほほえんで見れることが嬉しい。だって今あたしが生きてる時間は、いつかのあたしが見ればまたはにかめるから。
  高校を卒業して大学に進学し、そして現在に至るあたしには、日記というのはあたしの媒体…ではなく、コピーロボット。いつしか、手元につける日記、このHP上で書く日記、BLOG上での日記、SNS上の日記と、多種多様な私記がある。こんな平凡なあたしに、平凡な生活やのに、切り取る部分が違うだけでこんなにも今の自分を残せる。大切な表現場所、大切な文字アルバム。
  これからもあたしは、コピーロボットである日記を大切にするだろう。とても平凡なあたしに、平凡な生活だけど、ライフスタイルを文字化するという平凡な作業をずっとずっと続けてゆく。何も感じられなくなるまでは。いつかまた日記を読み返して、「こんなこともあったな」とはにかめるように。自分の断片、自分の軌跡、自分の、自分の…全て。

2005.02.21.

つばき「向こう側」!

つばき「向こう側」!

第4回『つばき』

  あたしが「つばき」に出逢ったのは、2002年11月11日。あの日あたしは友達と一緒にHermann H.&The Pacemakersのライブに出かけたのだった。だけど…ライブ始まって一発目は彼らではなく「つばき」だった。オープニングアクトとね。
  たしかあの時は、「風向き」「東京の空」「年下」「夢見がち」「月の夜にいつもの川」だったんじゃないかと。メンバーが出てきてMCも無く始まった「風向き」。いや、普通にこれいいでしょ?よくないかい?てか、誰?というのがあたしの行。そしてそのまま「東京の空」へ。…コトバを失う。
  「午前5時の夜明け前に…」という歌詞が体内にすんなり入ってゆくのを感じた。またギターの八分音符が心地よい。初めて“体内に入る”ということを経験したあたしは、興奮と焦燥を覚えていた。やばいと思った。サビに入った時には緊急事態である。当時の自分と重ねて見てた。メインであったヘルマンどころではなかった。東京の空が終わった時だっただろう、「東京からきたつばきです」と一言だけ加えられたような気がする。でもそれも今となっては定かではない、あたしの頭ん中はつばきというんや、えっ、初耳なんやけど。と、ただそれだけがループ。
  ライブ終わってからはヘルマン熱ではなく、つばきFeverで物販のところにゆく。小川さんと一色さんだけがいた。ライブで汗だくの見苦しい格好で「めちゃめちゃヨカッタです、2曲目感動しました」と言って(東京の空だと知らなかったから)ミニアルバム「向こう側」購入!そしてうどん屋に友人と入り浸り、そのとき中身をあける。あの夜、音源を開いた、パンドラの箱を開けた瞬間からあたしの「つばき中毒」が幕を開けたのである。
  それからというもの、毎日のように「東京の空」は繰り返され、向こう側のアルバムはあたしにとって人生で一番と言っていいほどの一枚になった。当時HPではメンバーさんがレスをつけてくれていた。何度も何度も「東京の空」が大好きだと一人語っていたあたし。今思えば恥ずかしい話である。そしてそれから現在に至るまで一度も「つばき」を欠いたことはない。あたしのライフスタイルは「つばき」と共にあるようになった。
  つばきはいつもあたしを追っかけてきてくれる。というか、あたしが追い掛けてるのだけど。他人のペースで歩んでいく日々でも、角を鋭利に曲がったとしても、それでもつばきは居てくれた、助けられた、和まされた、癒された、導いてくれた。
  つばきの曲で一番何が好きかといえば、迷わず答えるだろう、「東京の空」だと。どの曲も大好きだけどこれだけは譲れない。「風向き」が出逢いの一曲になるが、つばきがあたしの中に入ってきたのは「東京の空」だ。この曲だけは忘れられない。
  馬鹿だと言われてもいい、大馬鹿者だと思われてもいい。あたしは「つばき」が大好きだ。ただ単純にそれだけ。

2005.03.01.

見ての通り、鍵です。

見ての通り、鍵です。

第5回『鍵』

  鍵。それは幼少の頃のあたしにとってこの鍵というのは、手にしたときだけ特別自分が大人になり得た媒体であった。学校から帰宅して母が家にいないことなんて滅多になかった、年に1回でもあればいいほうだったあたしにとって、それはもう心をときめかせるものであった。
  周りの友達は鍵を首からつり下げて“鍵っ子”なんだと主張していた。当時「ふしぎなかぎばあさん」が流行ってたあたしにとって、鍵っ子というのはうらやましくて仕方なかった。中学に上がった頃でもまだ鍵への執拗な執着心が消えなかったあたしは、当時の日記帳は鍵付きにした。鍵がないと開かない、そんな少し秘密めいた感覚を一種の快感と覚え自分だけの空間を楽しんだ。
  そんなあたしは高校を卒業し、一人暮らしをするにあたって、至福の時が訪れようとしていた。自分だけの部屋鍵、そしてそれと当時に自分だけの住空間を手に入れられるということ。幼少の頃、誰もいない部屋に帰宅し、自分だけの王国だと思いこみ、少し背伸びできたような気分を一度に味わう、そんな憧れが一度に手に入ろうとしていた。
  数週間後あたしは、あたしの鍵を手に入れる。「これがあなたの部屋の鍵です」といって渡された、冷たく、いびつなその金属魂に心を弾ませた。また当時あたしは自分の鍵と、もう一つ鍵を手中に収めた。昔のメロドラマではおそらく鍵を渡す、渡されるというのはとても意味深いものであっただろう。そんなことを顧み、この鍵を心から喜んだ。鍵をもらうことで自分と相手がナニカ一つのものを共有したように感じた。初めて懐いた感情だった。
  こんなことを覚え、経験し、感じたあたしであるが…自分の鍵を持ってもう6年を迎えようとしている。早いものだ。しかしながら6年のうちに鍵に対する情調は少し変わった。それほど鍵に昔ほどの特別性を見いだしてるわけではない。むしろ裏の感情だけが強くなり、滅多に鍵を軽々譲渡しなくなった。鍵に意味があるとすれば、その中に含まれる負のベクトルだけがヒトリアルキしてしまっている。
  だけど、こうやって歴代の鍵を見て思うことがある。こんな冷たく、落としてもキーンと寂しい音しかしない鍵だけど、あたしにとってどの鍵もどれもそれぞれの温度があって、未だにその温度は冷めていない。金属は温まりやすく、曲がりやすい。その通りかもしれない。熱を帯びていいカタチになり始めた時、いつも屈折していった。だけど曲がって冷え固まった鍵だけども、振り返れば、手にすればすぐその感度が蘇ってくる。どれも冷たくなんかない、どれも精一杯頑張った、一生懸命だった証。
  鍵…これからどんな色を付け、どんな体温を保ってゆくのだろうか。

2005.03.06.