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『K』…Kyoto / Kifune

ここは貴船口。

『K』…Kyoto / Kifune

k///「Kyoto」

  生まれた街、生まれ育った街、第二の古里とも言える街、そして今の自分の礎となっている街。様々な街があるが、あたしにとって忘れられない街、大好きな街、かけがえのない街、一生かけても知り尽くせない街、色んなものが詰まった街。それが「京都」である。
  つまり「京都」はあたし自身にとって色んな意味をなす。とにかく京都が好きだ。といっても、京都の上から下まで隅々まで知り尽くせているわけではない。福井にほど近い京都は未知であるし、宇治の方面もそこまで詳しくはない。つまり京都という広義では語ることができない。
  ではどこら辺が自分のKWになるのか。それは一般じみていて、読む人を退屈させてしまうかもしれないが、ベタにJR京都駅から北方面。北部ラインは亀岡や大原を線で結べるとすればそのラインあたりまでが、自分の中での「京都」になる。嵐山や太秦、北大路、松ヶ崎、一乗寺、貴船、東山区etc...今回はその中のほんの一部分を述べることにする。
  大学受験後期日程、自分が受けるでもないのに、受験者(当時大切だった人)と一緒に早朝の新幹線に飛び乗って京都まで。松ヶ崎まで移動して試験が終わるのを街を歩いたり、写真を撮ったり、お店に入ったりして時間を潰した。そういう意味で松ヶ崎近辺は想い出深い。それから4年後、大原に向かう車内で当時の風景や街のホットステーション「ローソン」が同じ場所にあり、あの頃と変わらず営業していたことは、今でもこの脳裏に忘れないでいる。
  大学に入ってから、野球に没頭し続けるあたしに京都遠征の話しが舞い込んできた。もちろん京都まで行った。で、みんなの目を盗んでは密会をした。そんな想い出もある亀岡。あの頃はそれだけでも幸せだったのに、いつの日か色褪せる。でも悲しいことに社会人1年生の夏、亀岡の地に降り立つが、全く街並みを覚えていなかった。記憶がそれぞれ結びつかなかった。
  あとは、本来ならその名の通り「ゴールデンウィーク」になるはずだったGW。一本の連絡。でも決断を下せなかった自分。今JR京都駅にいる。目と鼻の先なのに見失った。今となってなぜあのとき決断を下せなかったのか分からない。置き忘れたものがここに一つ。でも決断を下していたからといって、自分が望んだ未来がソコにあったのかといえば分からない。だから今となっては、あれはあれでよかったんだと思うようにしている。
  そしてあたしも大学4年間も終了しようとしていた頃、卒業旅行先に選んだ先が、なぜか京都。4名で松山から車を走らせた。しかしながら、前日微熱を出していたあたしはあろうことか、京都南ICを降りたあたりぐらいから体調不良を訴え、夕飯は外に食べに行く予定だったのにも関わらず、一人宿泊先のホテルに残った。実は風邪をひいていなくても一人残って行きたい場所があった。このことは未だ誰も知らないでいる。だけどあまりの高熱と体のだるさに見舞われ、結局その計画は台無し。
  またしてもあのとき落としていった欠片を集めることができなった。旅行の前日、あんなコトがあったにも関わらず。またしても未練を残して、その日の夜中には実家へ強制送還。それから2週間、インフルエンザと変な病気を合併した苦しい境地に陥ることは、そのときのあたしは知るよしもない。
  京都はこれ以外にも、あたしにとって色んな物語がある。ここ最近の話しになると、24歳のバースデーを想い出すと四条大橋の下を流れている鴨川が結びつく。決まって行くトンカツ屋さんもある。ガチャガチャがしたいがためだけに、錦市場を何度も往復したこともある。
  京都は大切な街。あたしの中から京都というKWを剥奪されると、おそらくあたしは生気を失ったかのようにフラフラするだろう。置き忘れてきたものも、置いてきたものも、そこにあるものも、全てがあたしの要素。

 

「Kyoto is bread of the inside where I live for.」



2006.06.12.